東京界隈の今昔・・・

名前を知っていても一般人には馴染みのない歴史的建築
「赤坂迎賓館」
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ゲートの隙間からのiPhoneを差し込んで・・・

赤坂の迎賓館は1909年に片山東熊の手による設計です。

片山東熊は長州に生まれ、高杉晋作が設立し名を馳せた奇兵隊に所属して後に工部大学校(後に東京大学と合併)で学んだ人物だ。京都国立博物館、奈良国立博物館など、宮廷建築家として多くの建築に携わりました。余談ではありますが、当時日本のお抱え外人建築家で、鹿鳴館や旧海軍省本館などを手がけたジョサイア・コンドルの弟子にあたります。

四ッ谷駅からだと外堀通りを赤坂方面に下る途中の左手に。
赤坂見附方面からだと同じ外堀通りを登る途中の左手に。

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読んでくださる方の中には「知ってるよ」という声も聞こえてきそうですが、赤坂迎賓館が建っている広大な敷地に何があったのかということをご存知の方は少ないのではないでしょうか?

「紀州藩中屋敷」

徳川家康の十男、徳川頼宣を藩祖とする御三家のうちの一家の屋敷跡なのです。
外堀通りから見るといかにも武家屋敷の名残がある大きな門が見えるはずです。

ちなみに、隣接する四ッ谷駅前の上智大学は尾張藩徳川家拝領屋敷跡に建っています。
さらに隣接するホテルニューオータニは彦根藩井伊家の中屋敷跡に建っています。

それぞれ今も昔も名だたる名跡の頭文字
紀州の「紀」
尾張の「尾」
井伊の「井」

を取って紀尾井町(紀尾井町)の名前が生まれました。

昔の江戸は今で言う山手線の内側あたりを指し、今でこそ眠らない街である新宿は江戸の外れの宿場町程度の街でした。
また、現代では高級住宅街の立ち並ぶ目黒は、彼の地を屋敷の建設予定地として充てがわれた大名家が「ど田舎」と嘆くほど閑散とした地区であったと言われています。渋谷の道玄坂に至ってはその名の由来の「道玄」とは山賊などという始末。150年も昔の事と思いつつも、たった150年しか昔の世界と思えば、ちょっとした小話ですね。

都心で働く方々には少しは初耳のエピソードもあったのではないでしょうか?
忘年会が開催されそうな街のエピソードです・・・どうですか?笑

最後に・・・日本の赤坂離宮にあたる各国の迎賓館は
フランス:オテル・ドゥ・マリニー
アメリカ:ブレアハウス
ドイツ:ベルビュー宮殿

フィリピン:ココナッツ宮殿 
可愛すぎますね。

written by Yuichi Seshimo STAGEWORKS.inc


 

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