八甲田山から学ぶ事。

「八甲田山」
上質で豊富な雪に恵まれたスキーのメッカのひとつ。
だが、110年余前に未曾有の遭難事件が起きた事を知る人は少ないかもしれない。
1902年(明治35年)は日露開戦を意識した冬季行軍訓練で199名もの死者を出した大遭難の事件だ。

それから110年経っても、冬季の山での遭難は後を絶たないが、この事件から学ぶ事はとても多い。

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目的
青森の歩兵5連隊は中隊規模(約200名)でソリを引いての物資の輸送の可否を調査する。
弘前の歩兵31連隊は小隊規模(約40名)で冬季における装備・服装の確認を実施する。

というものであった。
結論から言ってしまえば、青森5連隊は、ほぼ全滅。弘前31連隊は全員無事に行軍を終了させている。では、この天と地ほどの結果にはどのような違いがあったのか。

青森5連隊
深い積雪の山岳を踏破するには大きすぎる規模の編成。
規模が大きくなると当然スピードの低下は避けられないし、史実でも人力でソリを引いていた様に装備や補給品のボリュームアップに繋がってしまう。

指揮系統の混乱
本来5連隊は中隊の神成大尉の指揮で遂行されるものであるが、オブザーバーという存在に近い大隊本部が随行してしまい、同本部の山口少佐が口を挟み、当初の計画や指揮系統が乱れてしまった。

気象条件
今で言う爆弾低気圧が接近していたにも関わらず、強行してしまった。当時気象台の置かれていた青森市内ですらマイナス12度、風速14メートルを記録していたのだから八甲田山系は更に悪天候であることは予想されたはず。

認識の甘さ
事前に行った予備訓練でも快晴でコンディションの良かった環境を基に計画を立案してしまっているので、支給された装備は稚拙であった。また、雪の少ない岩手や宮城の出身者が多かった為、雪中行軍をトレッキング感覚で捉えている者も少なくはなく、前夜に深酒をする士官までいた。

全員無事に八甲田を踏破した弘前31連隊は・・・
猟師やマタギなどの案内人を立てた。
計画通りの目的地に未到達の場合は即ビバークした。
事前に厳冬期の岩木山で訓練を実施した。
志願者で主に編成し、少数精鋭で臨んだ。

これだけの比較をしただけで、どこにリスクが潜み、なにが生存率を高めたかというポイントは明確になる。そして、それらのポイントは110年も経った現在でも基本中の基本になっている。
(もっとも自然が相手である以上変わりようもない)

雪山に対するフィールディング活動は年々拡大しているし、専門店でなくても装備は手に入る。けれど、ハードウェアは揃っても、知識やガイドなどのソフトウェアの部分が欠けてしまっているが故に起きてしまうアクシデントもまた多いのも事実だと思う。もちろん、知識をしっかりと身につけて、ガイドの案内を受けたとしてもアクシデントは完全には防げない。リスクばかりを考えていてはつまらないものになってしまうかもしれない。

それでも、雪山に対するリスクは機会ある毎に学ぶべきだし、リスクを減らす努力は必ずすべきじゃないかと思う。深い雪山は非日常そのものだし、得るべきものは多い。それを楽しむ権利を得る為には、リスクを減らす努力は責任なのだとつくづく思う。

僕は真っ白な雪山を仰ぐとき、興奮する前にブルッと怖くなる。あそこをスキーで滑ったら楽しそうだな。。。というのはその後から来る。(内緒だが・・・)

Written by Yuichi Seshimo STAGEWORKS.inc


 

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